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この、”ニードケアプロデュース”をプロデュースした自分、恐れ多くも”理事長”の肩書きが付く男はまったく”威厳”のない理事長らしくない男だ。
きっと、ボランティアさん達に紛れていたら誰が理事長か分からないだろう。
あ、以前にデイサービスで子供を迎えに行って戻ってきて、そのまま子供と遊んでいたら、初めて来たボランティアさんに「お父さんですか?」と聞かれた事もあります。
そんな、理事長の年齢は昭和46年3月8日生まれの○○歳(計算してください)、その名を”島卓也”と言う。
福祉畑で育っていない自分は、福祉界におけるまったくの異端児だ。そもそも福祉界の異端児というより社会の異端児なのかもしれないが…。
何がそうそう異端児なのか…。
それは、単なる一直線型のバカだからだ。そう、ひたすらこうと思ったら真っ直ぐ進む一直線な男。それもそうだ、昭和46年生まれは”イノシシ”年だから…。なんて分かりやすい人間だろう。
福祉畑で育っていないこの自分が、何故、この福祉界へ舞い降りたか…。
それは、100%の答えの無い世界だからだ。
「100%の答えの無い仕事」と、口癖のように言う。
自分はこの言葉が好きだ。
なぜなら、自分は100%の答えのあるコンピュータ畑にいたからだ。正確にはコンピュータ業界には100%の答えの無い仕事はある。しかし、それはほんのごく一部の最先端を行く仕事だけだ。100%の中身を伸ばしていく仕事、Microsoft社とかの世界
の最先端大手企業だけだ。
つまり、自分がいくらコンピュータのスキルを伸ばしても、それは現在進行形で発展し続けるコンピュータ業界の100%に追いつこうとしているだけの仕事でしかないのだ。
普通に日本の会社に所属していて、常にプログラムやシステムを作っていても、最終的に答えはあり100%出来て仕事は一つ一つ完了していく世界だ。必ず終わりがある。
しかし、これに気が付いたのは、コンピュータ業界にいた時ではない。自分はコンピュータの仕事が天職だと思うくらいに好きだったし得意だったからだ。
それは、この福祉界に足を突っ込んでみて、面白いと感じた時に始めて気が付いたのだ。
そして、自分で考えてみた。…コンピュータの仕事と福祉の仕事の違いって何だろう。
そう考えた時に、100%のある仕事とない仕事の違いだと気が付いた。
福祉での答えは、介護者自身でなく相手の中にある。それも、知的障害のある人相手だと本人も答えが分かっていない事さえも少なくないのだ。だから、こちらが察して100%に近いであろう答えを見つけ出してあげなければいけない。それも、月日が変われば答えも違ってくるのだ。
その魅力に自分はとり付かれたのだ。
常に100%の答えを求めてコンピュータの仕事をいかに早くこなすか、それだけが楽しみになっていた仕事に、知らず知らずのうちに退屈してきていたのだろう。
しかし、これだけでは自分が福祉界に行くきっかけにはならない。なにせ、コンピュータの仕事が天職だと思っていたし、自分が果たしてどれだけ福祉界でやっていける人間は分からなかったからだ。ボランティアではなく、仕事としてやれなければいけないからだ。
では、ボランティアではなく仕事としてやることの違いは何か?
それは、やはりプロフェッショナル性だろう。でも、そのプロフェッショナル性はどこにあるのだろうか。
でも、その答えを出すのは簡単だった。
知的に障害のある人達が自分自身を必要としてくれたからだ。
そう、福祉の世界では障害のある人に必要とされる人間であれば、それはプロフェッショナルであると言えるであろう。もちろん、一般常識があっての話だが、一人でも自分を必要としてくれている人がいれば、自分はその人に対してのプロフェッショナルであるしそれが仕事としてのプロフェッショナルへと繋がる。そして、より多くの人に必要としてもらえるように自分を磨けば良いのだ。
しかし、自分がこの福祉界で仕事をすることになった要因はもう一つある。それは、今の福祉では彼らが自分らしく、人間らしく一生をまっとう出来る可能性がひたすら少ないと感じたからだ。
自分で思うように意思表現が出来て、自分自身で周りの環境に適応したり周りを変えたりする力の弱い知的に障害のある人たち。周りの環境によって
は一生を左右しかねない程に、傷つきやすく繊細な人たち。
ただですら、知的に障害がないとされている人たちまでもが、ストレス社会に潰されていくという時代なのに、理解者の少ないストレス社会に向けて「地域へ!」を合言葉にして、国の措置制度から地域の中での契約制度(支援費制度)へと政策も変わり、放り出されてゆく知的
に障害のある人たちの未来はどうなるのだろうか。
措置制度の時代から仕事をしてきた多くの福祉界の人たちが、ストレス社会においてどれだけ彼らを助け守ることが出来るのだろうか…と考えたら、闇の中に強くても小さな光が点在するだけでしかない事を知った。
どれだけ、自分が出来るかは分からない。 しかし、闇の中に大きな光を作り出せる可能性があるのは、まったく新しい発想(福祉界では新しい発想だが)というより、あたり前のストレス社会の中で生き抜く力を持った人でなければならない。
自分がそんな力強い人間だとは思わないが、幸いにも意外に地域の中では顔は広いし、措置制度という閉ざされた福祉界でやってきた人たちよりは、少しくらいはましに何かは出来るだろうと自分勝手に思ったのだ。
かくして、自分はこの新時代の福祉界へとどっぷりと浸かる事になったのだが、措置制度の名残を見れば見るほど悲しい過去が心を突き刺し、この福祉改革期ともいえるチャンスの時期を活かして良い福祉というより
、当たり前の福祉?正しい福祉?へと進ませなければいけないと思うのだった。
自分の思う福祉まではまだまだ遠い。しかし、単なる理想論のように思える自分の考えは、理想論でも何でもなかったりする。ただただ、あたり前な事を考えているからなのだ。あたり前の事が、理想論に思えてしまううちは、自分にでもまだまだやれる事が山ほどあると言うことでもあるのだ。
異業種からの人は大歓迎だ。今勉強している福祉の学生達も大歓迎だ。過去の産物に惑わされず、一緒に新時代の福祉を作っていこうと言いたい。今はまだ、小さな小さな消えそうな光でしかないニードケアプロデュースだが、共に志しは一つになって新時代の福祉を担っていって欲しいと思う。
そして、新時代に向けての福祉変革期についていかなければいけないのは、知的に障害のある子供達もだ。「地域へ!」を合言葉に変わりつつある福祉に、子供達が新しい教育や療育の基に育っていかなければいけないのだ。
なぜなら、新時代の福祉でも力強く生きていける大人になっていなければ、せっかくの良い流れの福祉政策も失敗ということになってしまい、再び、措置の時代へと逆行しかねないし、最悪の結果として国では面倒見切れないと、完全に放り出されることになりかねないからだ。
…どれだけ書いても語りきれないものがある。
このホームページでも追々書き表していこうと思うが、どこかで”島卓也”に合ったときには、気軽に何でも聞いて欲しい。思いは山のようにある。もちろんコンピュータの事でもOKだ。でも、話し出したら止まらないので時間にご注意を!って事を付け加えて、このページでの話を終わる事にする。
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