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理事長の勝手な論 自閉症概論(初心者編)
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ここの自閉症概論は、専門家や経験者向けではなく、自閉症をよく知らない一般の人向けの文章になっています。
また、児童の自閉症より中高生への対応や大人の自閉症を理解するために近い表現になっております。
児童は児童なりの関わり方があります。
専門的な事と微妙に違う表現があったりしますが、ご了承ください。

■前書き
 『自閉症』と言う障害がある。これは、健常児・者がイジメやショック、トラウマから来る『ひきこもり』と呼ばれる自閉症状とは違うものである事をまず知っていただきたい。『ひきこもり』の類の自閉は精神障害にあたるのである。
 そして知的障害という障害がある。これは、脳に明らかに不具合(広汎性発達障害)があっておこるものであり、『ひきこもり』のような精神的なものからおこる障害ではない。
 正確には知的障害とは別の障害であるが自閉症の多くは知的障害との重複が多く、知的レベルも大きく差があるものである。
 一般的に先天的の障害には生れ持ってすぐ分かる障害が多いが、『自閉症』に関しては外見的には全く健常児と変わりない為、ある程度成長しないと気づかないこともある。だが、サイレントベイビーや、極度に泣き続ける事も多く、その事を知っていればすぐに調べてもらう事ができる。
 しかし、『自閉症』には乳児期まではいたって普通に育ってきたが、2歳・3歳になって突然今まで覚えてきた言葉がなくなってしまうというような事象が起こる『自閉症』もある。
 よって、まず脳障害があっての『自閉症』なのかそうでないのかを調べる必要がある。
 子供が2歳のある日突然、今まで覚えた言葉を話さなくなったり親を無視したりするようになった時は、児童相談所や障害児・者専門の医療機関、お近くの養護学校や知的障害の施設に相談して欲しい。
 ニュース等では表面化してないのだが、虐待死させられる子供の中には親が自分の子供が『自閉症』と言う障害がある事を知らず、虐待し続けて死に至らしめる事がある。
 なぜ、そのような惨事が起こってしまうのかと言うと、この日本では国よって保護というたてまえの措置制度により、障害児・者は地域から隔離され続けて来た事によって、こういった『自閉症』の存在を全く知らない親が出来てしまったわけで、ある意味仕方のない事かもしれない。
 これから、私が福祉に携わって知った『自閉症』についての特徴や接し方を述べようと思うのだが、予め断わっておきたい事がある。これは私自身が実際に『自閉症』である人と接して体験した事をベースに述べるものであり、かなり個人的な主観があると思われる。よって、世間一般に言われている事と相反する事があるかもしれませんが、ご了承いただきたい。
 そして、これを読んで少しでも多くの人達が『自閉症』児・者を理解していただけたらと願う。
 『自閉症』が産まれる確立 1万人に4〜5人
 『自閉症』の男女比率 男4人:女1人

 先にも述べたように一口に『自閉症』と言っても知的レベルの差もある。成人しても2、3歳の知的レベル人から、『高機能自閉』と呼ばれる健常者と変わりなかったり、IQでいうと天才レベルの自閉症もいる。また、知的障害ではあるが完全に自閉症と診断されず、『自閉的傾向』と診断される場合がある。
 
■自閉症を早期発見し、受け入れる事が大切
 子供が産まれてサイレントベイビーだと、『自閉症』である確立が高いと言われているが、サイレントベイビーだったが『自閉症』であると診断されていなかったり、サイレントベイビーでなかったけど、もしかしたら『自閉症』かもしれないと、気にかかる方は下記の項目をチェックしてみてください。

自閉症の3症状
@ 人付き合いの質的障害
A 言語やその他のコミュニケーションの質的障害
B 行動・活動や興味の大きな偏り

 例えば…
 ・ 泣かない(殆ど無い)その逆、泣き続ける
 ・ 人と視線を合わさない
 ・ 話しかけても反応しない
 ・ 言葉を覚えるのが遅い
 ・ 難語を口にする

 このように、『自閉症』であると極端に人に関心を持たないと言うことが分かると思う。この無関心は親に対してでもそうなのである、『自閉症』から見れば親も他人も同じ人にすぎないからである。
 そして、『自閉症』の教育にとってとても重要な事が、我子の『自閉症』であると言う親の受け入れである。サイレントベイビーや極度に手がかかり『自閉症』である可能性が高いにもかかわらず、親に手をかけない大人しい良い子として乳児期を過ぎ去ってしまう事がある。
 これは、今後の『自閉症』の子育てにおいて大きな遅れを取ってしまう原因にもなるのである。なぜなら、大人しい良い子であるために親も子供と接する時間を減らしてしまう事になる傾向があるからである、ただですら『自閉症』は自分から人を遠ざけるのに、親の方からも接しないのはとんでもないミスとなるのである。
 我子が『自閉症』であると分かったら、まず大切な事が親への関心を持たせる事である。視線を合わさないなら少しでも合うようにし、視線が合うようになったなら、こちらから視線を投げかけていなくても、子供の方から視線を向けて来た時に逃さず、視線を合わせ微笑みかけたり話しかける事である。
 まず私達の存在を認めさせる事から第一歩が始まるのである。『自閉症』の人にとって、いつも自分の側にいていつも自分を見ていてくれる存在になる必要がある。
 なぜなら、親でも支援者でもそうだが、まず『自閉症』の人に私達の存在を認めてくれていなければ、コミュニケーションも教育も療育も悪影響になりかねないのである。
 考えてみて欲しい、健常と呼ばれる私達も知らない人に急に声をかけられたり、触られたり、怒られたり、命令されたらどうであろう。たとえ知人だったとしても、気心知れた仲でないかぎり嫌悪感をおぼえたり、場合によっては怖いと思うだけでなく、こちらから攻撃をする事もあり得るだろう。
 そう、『自閉症』である当事者も同じ事なのである。ただ、脳に障害がある為に、私達と同じ時間で仲良くなれる事は少なく、とても時間がかかり根気が必要なだけである。これを私は『関係づくり』と呼ぶ。
 この『関係づくり』が十分に出来てないまま、教育や訓練を始めたり介護を始めてしまうと、悲惨な結果を生み出しかねないのである。
 では、関係づくりが出来ていたら何でもOKなのかと言ったら、これまたそうでもない。関係づくりが出来ているが故にしてはいけないミスもある。知的に障害のある人はとても純粋なため、関係づくりができて気を許した相手を後から嫌いになる事は殆ど無いのである。疑う事を知らず愛し、好いてくれ、必要としてくれるようになってしまうからである。
 関係づくりはある意味、知的に障害のある人からしてみれば一途な恋愛と同じなのである。例えば私達でも、常識ではあり得ない事なのに、好きになってしまったら何をされても相手を信じてしまったり、謝られると許してしまったりする事と同じで、この状況を利用した最悪の事態は虐待なのである。
 そこまではいかないとしても、日頃から精神的に負担を多く受けている家族が故に、必要以上に怒ってしまったり、叩いてしまったりする事も少なくない。
 では、関係づくりが出来た後、親や支援者はどのように接していけば良いかを述べる。
 
■自閉症との接し方
 私はよく『子育てと障害は別』と言う。障害の有無に関係無く、子育ては共通なのである。また、どんな障害があったとしても、「自尊心」「自立心」は年齢に応じて育っていくし、そうであると言える。
 そんな彼らと接していくには、とにかく根気が必要であり、短気になってはいけない。常に自分を客観視する目が必要である。そして、障害によって起こってしまう事や、繰り返す事に対して必要以上に怒ってはいけない。いわゆる『こだわり』と呼ばれるものにである。
 特に『自閉症』に、この『こだわり』は強く現われる。どんな『こだわり』があるかを挙げてみる。
 ・ 物に対する執着
 ・ 行動に対する執着
 ・ 情報に対する執着
 ・ 繰り返す行為
  おおまかに言えばこんな事であるが、その中身は千差万別で人それぞれ違うのである。分かり易く言えば、健常児・者にある「凝り」や「癖」と同じようなものである。
 「物に対する執着」は特定の物を集める事や触れる事、使う事(行動に対する執着にもなる)などがある。また、「行動に対する執着」には「自分の行動」と「他人の行動」に分類される。「自分の行動」には手叩きや、話す事、食べる事、物を消費する事、他傷・自傷などなど様々である。そして、それらの行為をやらせる事が「他人の行動」となる。
 また、知的レベルの高い自閉になってくると「情報に対する執着」が現われる人もある。並外れた記憶力を発揮し、次々と記憶していくのである。
 そして、「繰り返す行為」には、その場で繰り返すものだけでなく、同じ場所やシュツエーションによって繰り返される行為がある。
 先の三つの執着に関しては、長期に渡って続くものから、その場その場で変化するパターンがある。しかし、どの『こだわり』をとってみても、良い事悪い事関係なく、自分の精神的安定や安心感を得るために行われる事が主である。
 実は主であると述べたのには、『こだわり』には良性のこだわりと悪性のこだわりがあるからである。良性の『こだわり』は先にも述べたように、安定や安心を求める行為である事に対して、悪性の『こだわり』は精神を不安定にさせたり、不安にさせる働きがあるのである。
 実は、ここで書く接し方のポイントは、この良性『こだわり』と悪性『こだわり』にあり、子育て・支援において十分に配慮していただきたい事である。
 悪性『こだわり』であるが、これは子育て・支援によって作られてしまったものなのである。本来の『こだわり』は良性しか存在せず、悪性のこだわりは無いのである。
 では、どうやって悪性『こだわり』が作られるか例をあげてみよう。
 食事の時にご飯やおかずを残す事があるが、一般的には残さず食べると言う教育をする家庭は少なくない。これを、障害児にも教育として行なったとする。嫌いな食べ物を食べさせたり、お腹いっぱいなのに食べさせたりする事によって、食事は残さず食べなければいけないものだと覚えてくれるかと思うかもしれないが、必ずしもそうではない。
 残さず食べなければいけない納得の行く理由がないと、混乱させてしまったり、体調が悪くて食べれないのに、それを伝えられないが故に無理やり食べさせられる事を繰り返していると危険なのである。
 また、食べ物を触る人も少なくない。それを、触ったからと言って全部食べさせるのも必ずしも良いとは言えない。
 始めは怒られるから食べていたものが、緊張して食べると言う行為が何度も繰り返される事によって、何が何でも食べなければいけない事や、食卓テーブルから無くしてしまわなければいけない事となってしまい、それを達成しなければいけないという強迫観念にかられてしまうようになるのである。
  その時の精神状態は良いものであるはずはなく、教育(しつけ)として怒られたことを思い出して興奮状態になり悪性『こだわり』となってしまうのである。この症状の現われとしては、人に無理やり食べさせたり、人のものを食べたりして、目の前から食べ物が無くなるまでやらなければ気が済まないという行動に現われてくるのである。
 これらは、家庭・学校・施設の教育やしつけの中で起り得る事で、一度そうなってしまったら、治る事は殆ど無いと言って良いかもしれない。まず、25歳を過ぎたら更正は困難だと思った方が良いであろう。
 悪性の『こだわり』は、一般的に分かり易く言えばトラウマと同じである事が言える。そんなトラウマを作らないようにするにはどうすれば良いか、また、そうなってしまったらどう対応して行けば良いかを次に述べる。
 まず、悪性の『こだわり』を作る原因で、一番多いと思われる危険な事は、良性の『こだわり』からの変化である。なぜなら、本人にとっては、好きな事を抑制されたり、気持ちが安定する事をやっては行けないと否定されるからである。
 しかし、良性の『こだわり』であっても、他人に迷惑をかけるなどの社会性に欠けるものは注意し、やらないようにしなければいけない。だが、良性の『こだわり』であればあるほど、時間をかけて止めさせる様にしなければならないのである。
 常識では考えられないとんでもない行為であればあるほど、周りの者は驚いて焦り、激しく注意し怒ってしまうのである。その動揺した状態で怒ると、それは敏感に伝わってしまいトラウマになり易いのである。『自閉症』の人は常に安定を望むため、それを周りの人の心理状態が平常でなくなると、敏感に察知してしまい心に刻まれ易いのである。
 『自閉症』の人が、「ダメ!」「いかん!」「コラ!」と言う言葉に異常に反応する人が多いのもその為である。これらの注意する言葉を使う時は十分に配慮しなければいけない。
 『自閉症』の人にとったら、単体でこの言葉を使われると、突然言われた言葉となり、何故ダメなのか、いかんのか、怒られたのかが分からないのである。その理由が理解出来るようになるまでや、自然にやらなくなるようになるまでには時間がかかるため根気が必要であり、1週間単位で考えるのが良いであろう。どんな時でも穏やかに平常心でもって、時間をかけて接する事が理想である。
 実は周りが即反応するこの「ダメ!」「いかん!」「コラ!」の言葉は、健常の子供も同じだが周りの注意を引きたいが為にわざとやっている事もある。この時に必要以上に怒ることも危険である事を知っていただきたい。かまってくれる事を期待している時に必要以上に怒って遠ざける事は危険極まりないのである。
 こういう怒るタイミングや怒り方の難しさは、健常であろうが障害があろうが同じなのである。これが、前に記した『子育てと障害は別』と言う事である。その子その子によって、接し方が違うのである。障害があるからといって、共通のマニュアルなどあり得ないし、子育てに王道はないのである。
 よって、どんなに配慮して接してきたとしても、悪性の『こだわり』を作ってしまう事があるが仕方がない。
 いったん悪性の『こだわり』を作ってしまうと、これは一種のトラウマであるため、なかなか取れない。20歳前後の遅いながらも発育している段階であれば、可能性は有るのだが、だいたい25歳(20〜25歳と個人差がある)を過ぎて成長エネルギーが止まり、老化が始めるとその可能性は殆ど無くなってしまう。
 よって、周りの人達はその悪性の『こだわり』を治そうとするのではなく、受け入れなければいけなくなってくる。
 では、その悪性の『こだわり』とどう接していくのが良いかを述べよう。
 まず、どういった『こだわり』なのかを熟知する必要がある。この悪性の『こだわり』は、3種類に分けられる。
 ・ 行為事態が悪性
 ・ 繰り返す事により悪性が出る
 ・ 状況により悪性化する
 「行為事態が悪性」なのは、分かり易く対応がし易い。その元となる原因を排除し、目に付かないようにしてやったり、原因について触れない様に対応すれば良い。
 「繰り返す事により悪性が出る」は、悪性化するタイミングを見計らうのが難しい。例えば、風呂での水遊びが好きで良くやりたがるのだが、蛇口から水やお湯を出し続けていると、悪性が出てきて止める事が出来なくなるといった現象である。日常行為で排除したり触れない様にする事が出来ない場合はとても大変である。
 また、こういった日常行為は悪性化せずに何事も無く終る場合もあったりするのだが、悪性化する場合はだいたいが何か別の所でストレスを受けていて発散できていない時に、好きな事を繰り返す事で自然とストレスを発散しようとしている場合が多いのである。が、ストレスを発散するならやらせれば良いと思うかもしれないが、それがそうでもないのである。
 悪性化している事でテンションがマイナス方向に向いている為に、異常に疲れ(発作がある人は発作が起こる)たり、原因は無くても、その行為を行う事で怒られた事を思い出し、数日間、悪性化する事が続いてしてしまうのである。
 よって、「繰り返す事により悪性が出る」場合は、周りの人が注意をして悪性化する前に止めてあげる事で対応しなければいけない。どういったタイミングで悪性化するか分からないと思うかもしれないが、実は良く観察し続ければ分かるようになる。多くは目の色が変わる場合が多く、目が真剣になったり、焦点が定まっていなかったりするので、そういった切り替わり時に早目に止めれば、ひどくなって周りが止めるのに必至にならずに済むのである。
 3つ目の「状況により悪性化する」場合であるが、これは非常に難しく分かりにくい。高機能自閉に見られる事がある。自分に対して意見の否定や行為の抑制を、攻撃として受け取ってしまった場合、それについて、何が何でもやり通さなければいけなく、気が済まなくなるケースである。
 簡単に言えば、自尊心の発達により反発するのである。高機能自閉の反抗期(思春期)に、上手く対応しないと悪性化して一生付きまとう事になってしまう場合が多いので、反抗期(思春期)の対応が重要である。
 こういった場合の対応(反抗期での対応ではないので注意)であるが、自立心も同じくして発達していて、高機能自閉でもある事から理解力や抑止力、状況判断力も育っているので、悪性化してしまう前に第三者が途中で気をそらしてあげる必要がある。ここで言う第三者であるが、障害のある人と、攻撃されたと思われた人(達)以外の、全く今回の悪性化に関与していない第三者である。
 事象と関係無い人が、別の話題や行為に目を向けさせる事により、我に返らせ事態の悪化を防ぐ事が出来るのである。これは、先の繰り返しの場合でも言えるが、その時の心理状態により悪化し易い時とそうでない時があるので、常に良く観察し、今は悪化し易い状態なのかそうでないかを見分けて、普段から接する事が必要である。
 
■高機能自閉と精神障害
 高機能自閉の話しが出てきたので、これについてもう少し述べよう。
 健常の人と変わりない知的レベルを持つ高機能自閉は、自閉症と言う事から自己表現が苦手で誤解されたり、高機能と言う期待から必要以上の教育や、自閉症向けの指導がされず、強引に行なわれる事が多い。
 よって、周囲が思っているより多くのストレスを感じている事が多く、コミュニケーションが不得意な分、本人も誤解してストレスを感じてしまうように解釈している事がある。
 精神障害には神経系と言う後天的に発症する障害がある。これはストレス社会の現代において健常者に多く発症している。知的障害であっても同じく精神障害を発症するのはあり得るのである。もちろん潜在的に産まれ持っていた精神障害(精神系)を発症する場合もあるのだが、後天的に精神障害を発症してしまう場合も少なくない。
 実はこの精神障害との重複がとてもやっかいなのである。
 まず、精神障害と悪性の『こだわり』の区別がつきにくいのである。改善余地のある悪性の『こだわり』なのに、精神障害と診断され精神病院に入院させられてしまうと、知的障害があるだけにその人の残りの人生はもうそこで決まってしまうのである。
 よって、その判断がとても重要である。精神障害と知的障害に精通した人でない限りその区別はつかなく、手におえなくなってしまうと、親御さんも諦めて精神病院に入院させてしまったりなど、現在においては殆どが精神障害とされてしまっているケースが多いのではないかと思う。
  例えば、物を壊し回ったり、刃物を持ち出して振り回したり、人に殴りかかったり、噛みついたりするような社会的に悪い行動をするようになったとしても、精神障害とは限らないので、諦めず多くの人に相談してどう対応すべきか決めるべきである。
 
■不登校、通所拒否の対応
 学校や作業所と言う場所は、自閉症や知的障害のある人にとったら誰もが行きたい場所ではないし、行かなければいけない理由さえ分からない人も多い。よって、学校や作業所が自分らしく楽しく出来る所でないと、不登校や通所拒否になってしまうのである。
 これを、強制するのが良いか悪いかは非常に難しい問題である。また、親御さんにとったら行きたくないなら行かせたくないけど、常に一緒にいなければいけない事は、精神的にも体力的にも非常に困難なために、無理やり行かせてしまっている場合が殆どであろうか。
 しかし、これが学校や作業所に行かない時は家では安定しているのに、学校や作業所に行って帰ってくると家で暴れるなんて事がある。こういった場合に不登校や通所拒否をさせてしまう場合が多く、親子で『ひきこもり』状態に陥ってしまう事がある。
 実はこの状態は非常に危険で、そうなっている家庭も少なくない。表面化しない場合が多く、知っていてもよそのご家庭の事だからと、周りが見て見ぬ振りをしてしまい次第に忘れ去られ、悪循環となってしまうのである。
 親子でいつも一緒にいる事により、親御さんは自分以外の人は我子と接する事が出来ないと思うようになり、子供は子供で好き勝手で来て我侭し放題の我家が居心地が良くなる。この状態では子供が暴力を振るうようになったとしても、親は自分しかいないからと思って 耐えつづけてしまう状況になったり、子供は子供で社会性の無い人間になってしまい、親御さんが亡くなった後、誰とも接する事が出来ないばかりか、親御さんのいない事がストレスになり、暴れたりと手におえない人になり最終的には精神病院へ行く事になってしまうのである。
 ひとつ断わっておきたいが、精神病院に行く事に・・・と悪い事のように書いているが、精神病院に入る事が最悪だと言っているのではない。精神障害がないのに、精神障害の安定する前の症状の悪い人達と同じように、薬を飲まされ続ける事になるのが良くないからである。何処も悪くない健常者が精神病院に入れられて、動き回れないように薬を飲まされ続けるのと同じ事で、私はそんな事はどうかと思うからである。
 話しが外れてしまったが、不登校や通所拒否の人ほど他人と関わる事が重要で、悪くなる前に早目に手をうたなければいけない。学校や作業所へ復帰させる事は無理にする必要はないと思うが、いろんな人と関わる事をやめてはいけなく、他人と関わる事が少なくなるからこそ、積極的に社会に出て、他人と接する努力をしなければいけない。

  ■自閉症の多動について
 自閉症で多動なのは非常に接し方が難しい。多動と言うのは、動きが多いと言う事で、常に落ち着きがなく何かをやっていないと気が済まない症状を言う。多動については大人になるにつれて、落ち着いて症状が無くなる場合もあるが、大人になっても多動のままである事もある。
 そうならないように接し方でまず大事なのが、周りがじっとして落ち着く事である。周りも一緒になってそそくさと動き回っていては症状の改善は期待できない。また、周りが早口や大きい声で話し事も好ましくない。
 これらは、子育ての段階から重要な事で、家族がゆったりとするように務める必要があり、『関係づくり』がしっかり出来ていれば、子供は見て育ってくれる。多動との接し方は、多動で大変かもしれないが基本はまず、落ち着いてゆったりと見せる事である。
 例えば、よく動き回ってついて行くのが大変な人の場合でも、本人に見える所では走って追いかけずに、視界に入っていない見えない所で走って追いつくといったように、配慮が必要である。
 多動の人が落ち着き方を知らないのは、自閉症の多くは感覚が視覚優位・聴覚優位だからでもある。目や耳からの情報だけで判断・理解するから、何もせずボーっとする事は彼らにとったら考えられない事であるし、ましてや自分以外の人が考え事をしているなど理解しがたいのである。よって、多動であっても仕方ないのである。
 多動の人は基本的に何かをしていれば落ち着く為、生活や行動をパターン化させて安定させる方法がある。しかし、この方法を使うには注意が必要である。
 いつも決まったパターンをやらせる事によって気持ちは安定させる事は出来るが、パターンでしか動けないようになってしまったり、理解力があり要領の良い人だと決められたパターンを短時間でこなしてしまうようになる。そして、そのパターンを崩されたり、新たに追加したりすると怒ったりパニックになったりする事もあるので、パターン化により更正を期待する時はその人に合っているのかを判断する必要があり、周りの人達と十分に相談しなければいけない。
 生活や行動のパターン化を始めると、パターンをこなす事に集中しすぎて、周りが落ち着いてゆったり見せても、本人は次ぎのパターンをこなす事で頭がいっぱいになり、先に述べた見せて真似させ、落ち着かせる方法を覚えさせる事が出来なくなるのである。
 
■まとめ
 これまで、私自身が体験した事から『自閉症』についての概論を書いて来たが、抽象的で分かりにくかった所もあると思う。しかし、『自閉症』と言う1つの枠があるだけで、人それぞれで個性があり、家庭環境があり個々の育て方がある。私がいくら文字を並べようとも、特定の人の接し方の答えは出てこない。触合い接し、心を通わせてこそ見えてくるものである。
 接し方の中には危険な可能性が高いものがある事を常に頭に入れ、最悪の事態にならないように気遣い、接する事が大事である事を分かっていただきたい。
 そして、危険が高い事でも良い結果をもたらす事もあるので臆病にならず、最悪の事態はこうなってしまう可能性があるので、そういった時にはこう対応しようと、常にあらゆる結果を想定し、後で慌てふためく事の無いようにして接する必要がある。
 常に自分の接し方を振り返り、これで良かったのか、これで良いのかを考え最善の方法を見付け出し、愛情を持って接していって欲しい。
 純粋な彼らに、私達一人一人の接し方1つが、鏡のように写し出されるのである。
 
 私はよく接し方や、育て方についての相談を受けるが、100%の解答は出来ない。より確立が高い方法を述べ、残り少ないパーセンテージの最悪の結果を述べる。そう結果を見えるようにする事で、どうなるか分からないと言った先の見えない不安な気持ちは無くなり、逆に気持ちに余裕を持って接してもらえるようになって、最悪の結果になるかもしれないと言う危機感から、接し方への注意力が高まるのだ。悪い方向に行きそうになった時に早く気付き、最悪の事態になる前に方向を修正できるのである。
 

『自閉症』との接し方の心得

 ・ 『自閉症』の人を主人公に、周りは脇役に徹する
 ・ 強烈な印象を与えない行動や言動を心がける
 ・ 落ち着いてゆったりした接し方を心がける
 ・ 接し方に責任を持ち、最善の策を考える
 ・ 思い込みは厳禁!柔軟に接する
 ・ 短気は厳禁!気長に接する
 ・ 愛情を持って接する


<著者> ニードケアプロデュース
<初版> 2003年9月6日
<改定> 2010年1月6日
※ 内容は随時、修正変更されますのでご了承下さい。