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理事長の勝手な論 地域運動論
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■前書き
 障害のある人の親御さん達の多くは、何らかの会で活動している事が多いです。(昨今激減していますが。)歴史ある大きな会に属していたり、仲間内で会を作ったりしていますが、これからの時代は本当に今のままで良いと思いますか。
 おそらく、不安を抱えながらも息子の為に何かしなければいけないと思い、一生懸命に活動している人が殆どだと思います。
 日本の福祉は老人福祉をきっかけに、動きが変わってきています。平成14年度からは精神障害、平成15年度からは知的障害の福祉において、今まで世間から遠ざけられてきた障害のある人達が地域生活へと出て行かなければいけなくなっています。
 これらは、人権の観点や昨今言われているノーマライゼーションの観点から言えばとても素晴らしい動きであります。
 日本の障害者福祉の運動は、障害児・者の修学(学校)づくり、作業所づくり、グループホームづくりへと、障害ある人の生活が地域ベースへと移行してきました。これらは、障害ある人の親御さんだけでなく、障害のある人達自身の長年の希望でもありました。
 それが、双方の理由は違うにしろ、近年になって国も同じ方向へと動き始めたのです。
 この、世の中の福祉構造改革とも言える動きの中で、親御さん達の活動は今までと、さほど変わりないままで良いのでしょうか。
 
■先を見据えての活動が大切
 なんらかの会に属している人の場合は、それらの会に願いを託し、更なる発展の為に、会が行なっている活動を一生懸命に手伝っている事でしょう。
 そして、そんな会の運営者側は、作業所やグループホームづくりを考えたり、最近注目されているレスパイトサービスづくりや、行政への働きかけ、地域への働きかけといった、様々な活動や運動を考えている事でしょう。
 しかし、それらの多くは、バザーやフリーマーケット、内職や募金集めと言った、資金を集める為の活動が欠かせなく、会員達は一生懸命にやっていると思います。
  これからも、本当にそれらの活動のままだけで良いと思いますか?将来に息子さん達が地域に出て、グループホームで生活しながら作業所や会社へ行くといった、自立した生活が出来るハードが揃ったとしても、地域の大半を占める健常と呼ばれる人達が、彼らを快く受け入れてくれなければ、良い生活を送れないどころか危険極まりない地域生活が待っているのです。
 とても残念な話ですが、あるグループホームの世話人さんの、車のタイヤが十数回も連続してパンクさせられたと言う現実があります。そこのグループホームを作る時に近所へ挨拶回りをし、反対される事なく、快く受け入れてくれたにも関わらずです。
 犯人は近所の人とは限りませんが、協力的な近所の方の家族に不快に思っている人がいたのかもしれませんし、最近に家を建てて引っ越してきた近所の人かもしれません。
 しかし、そんな犯人を探し出して、法によって裁いてもらうだけで良いのでしょうか。そうではないと思います。
 法に引っかかるような事をしなくても、冷たい眼差しで見られるだけでなく、通り際に陰湿なイジメに合う事だってあるかもしれません。最悪の事態には傷害事件の被害者になったり、イジメによるストレスにより反対に加害者になったりする事件も起こすやもしれません。
 障害のある人達が傷害事件の加害者にまでなる場合は少ないかもしれませんが、ちょっと庭先の花壇の花を取ってしまったり、玄関先においてある車に落書きをしてしまった時に、警察に通報されて、捕まった場合はどうでしょう。警察の方や検事の方、弁護士の方、裁判官の方達が障害のある人に正しく接して理解し、裁いてくれるでしょうか。
 地域生活にはそんな危険と、起り得る問題がまだまだ山積なのです。よって、福祉に携わる人をはじめ、親御さん達も新しい問題に向かって活動していかなければいけないのです。
 
■活動の相手は一般社会
 では、今後私達はどんな活動をしていけば良いのでしょうか。警察や裁判所、弁護士事務所と言った所への働きかけで良いと思いますか。そうではありません。
 確かに目に見えて主旨が伝わるし、配慮してくれるようになるかもしれません。しかしそれは、かつての障害児でも修学が出来るように!と運動した事や、行政に対しての施設づくりをしろ!の運動と同じ事なのです。
 これから必要な運動は、一方的に「学校を作れ」「施設を作れ」「金を出せ」と無い物を作らせたり、出させたりする運動とは質も方法も違うのです。
 地域に出る事もそうですが、既に存在する世界に理解を求める運動をしなければいけないのです。
  私達、障害児・者のいる家族はこんなに苦労しているし、お金が必要なのだからと、言ってもなかなか通用しない一般社会に住む個人が相手になっているのです。そんな一般社会に住む個人の方達の納税によって、福祉が成り立っているのです。
 人と人との結び付きが希薄になってきている近年において、健常世帯同士ですら、「隣は何をする人ぞ」状態で、人は人、他人は関係無いとなっているのに一方的にせっせと働きかけても、余計な面倒はご免だと思われたり、そんなの我家には関係無いと、あしらわれるのが関の山です。
 今はまだ、社会のお荷物とすら思っている人もいる事でしょう。
 悲しいけどそれが現実なのです。
 よって、これからの活動は、心から理解して協力してくれる人達を、一般社会の中に多く作って行くような活動が必要なのです。
 
■私達がやるべき事
 まず、私達がやるべき事は、そんな一般社会との壁を取り払う事です。それを私は『福祉の壁』と呼んでいます。
 『福祉の壁』は嫌が応なく作られてきた壁です。かつての国の政策によって出来てしまった健常の人達の中にある壁だけでなく、障害児・者の方側にも壁はあります。それは、今までの活動の積み重ねにより作ってしまっているのです。
 そんな『福祉の壁』を、先にも述べたような他人関与を気嫌うこの時代に取り払わなければ行けない事は非常に大変ですが、障害のある人達側の私達が壁を作らず、一般社会の壁を取り払う活動をするには、どうすれば良いでしょうか。
 それには、第一に私達が壁の無い活動をする事が必要です。
 先にも言ったように、かつての運動先であった国や県や市は、国民・県民・市民の為にある機関ですから、それらに対して「してもらう」「してもらって当然」の思いでのやり方は通用したかもしれません。
 しかし、そのやり方はあまりにも一方的な為に、同じやり方で一般社会に望んではいけないのです。
 なぜなら、今までの運動のターゲットは行政側であった為に、一般社会の人達は、署名運動や資金集めの為に協力してくれたかもしれません。しかし、これからの運動のターゲットは一般社会が相手なのです。
 そんなターゲットが向いた一般社会にとっては、冷たい言い方かもしれませんが、人の善意や情をあてにした活動や、せっせと資金集めする行為事態が、障害のある人に関わる人達が作る『福祉の壁』となり、次第にうっとうしがられ、気嫌いされるようになってしまうでしょう。
 なぜなら、それらは自己本位の活動だからです。息子の為に、自分達の為にと言った活動は当たり前の事なのです。皆が、息子の為・自分の為に生きているからです。それを、他人様の事まで…などと思われても仕方がないのです。
 まず、私達がやるべき事は、私達自身の運動や活動に対する意識改革なのです。
 
■どんな活動をしていくべきか
 では、どんな活動をする事が良いかと言うと、それは簡単な事です。一般社会に望む事があるなら、私達は一般社会に貢献する活動をしなければいけません。世の中、「持ちつ持たれつ」と言われるように、自分達だけの為だけでなく、皆の為になる事を率先して行う事によって、地域の人達に認めてもらえるようになる必要があります。
 人の心へ働きかけ、動かせる活動が必要なのです。
 また、子供達の将来の為にお金も必要だし、収入源も必要となってきますが、バザーや内職といった細かい資金集めには時間と労力がかかるため避けるべきですし、100円ショップが乱立する中ではなかなか売れません。また、インターネットの普及により、個人がネットオークションで不用な物を自由に売買できる世の中になっているのです。
 よって、障害のある人達もそんな地域に出ていくのだから、その親御さん達も世の中の動きに合わせて、地域の中で対等に活動すべきです。何も就職したりパートをしろと言う事ではありません。インターネットもフルに活用しましょう。対等となるビジネス・商売をしましょう。今までの親の会の活動パワーを持ってすれば、大げさかもしれませんがビジネスを成功させる事も不可能ではありません。そこで、出た利益を役立てれば良いのです。

 これからは、目先の事にとらわれず、将来を見据えて今何をすべきかを考えていくべきであると思います。


<著者> ニードケアプロデュース
<初版> 2003年9月6日
<改定> 2010年1月6日
※ 内容は随時、修正変更されますのでご了承下さい。