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理事長の勝手な論 障害のある子の育て方
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■前書き
 障害のある子供と長年関わり、子育てとは何か、教育とは何か、育てるとは何かが分かってきた。その事をここで述べていきたい。
 これらを考えていく上で、人は経験という生きた年月、月日、時間によって自立心と自尊心が、障害の有無関係なく等しく育っていくことが前提となっている。
 IQや障害に関係なく、その人自身がこれまでに感じ取ってきた様々な経験により、今現在のその人の価値感とも言える自立心や自尊心が、刻々と変化を伴いながら成長していくものだ。
 その、必ず成長する部分、即ち、価値感を伴った人間性がある。それは、どんなに重い障害があったとしても、大人になっていたら人間性を尊重しなければいけないし、成長過程にある子供には、その人間性の成長を考え、子育てしなければいけない。
 
■人間性を育てるとは
 NCPのホームページ内のいたるところで、人間性に関した事に触れているのだが、大雑把に言えば大人になった時に”憎めない人””可愛らしい人”と思われる人間性であり、その逆の人間性となると、”自己中心的”な身勝手な行動や、人を困らせる行動をわざと取るなど、自己欲のために他人を困らせてまでも、欲求を満たそうとしてしまう事だ。
 健常と呼ばれる子供が、人間性を考えず育てられたとしたら、考えるだけでも悲惨な結果が待ち受けていると容易に想像できると思う。しかし、この大事な人間性を育てられない親が増えている。障害児の親だけではない。
 障害児であっても、人間性は育てられるし育てなければならないと、これは、私自身がこれまで障害児や健常児と多く関わって来て、今現在、辿り着いている結論である。
 人にとって大事なのは、学力でも知識でも地位でも名誉でもない。”良き人間性”が人生を左右するとっても大事なものであると言える。
 自己中心的な我儘な気持ちを、それなりに自分でセーブできなければ、周りを困らせるし、迷惑をかける。
 やってはいけない事、言ってはいけない事。それを判断して(又は感覚で)行動出来るようになる事が大事。
 誰しも人間、一人では生きていけない。自分の事ばかりでなく、協調性を持っていかなくてはいけない。
 自閉症という、立場を置き替えて考える事が難しい子であっても、人間性として考えると正しい行動を学習する事はできるのだ。
 
■障害児の子育てにおいて陥りやすい傾向
 ”障害がある”前提で、子育ては行なわれる。それは、自閉症児であったらなおさら重要視して子育てをしなければならない分けなのだが、”障害”に惑わされて、”障害”を言い訳にして、躾けであったり、大事な人間性の成長をさせない親がいる。その多くは無意識に行なわれているのだ。
 子育てにおいて、成長させれる事を成長させなくしてしまう事、それは、本人の育つ権利を無視し侵していると言える。即ち、暴力や育児放棄でなくても、この行為は”虐待”の一種といえるものだ。
 よく考えてほしい。
 ただですら障害児を育てるのは大変なのに。
 障害があるから、教えれない。
 どうせ、治らないんだし。
 こんな考えは絶対にあってはならない。

 私達、支援者にとったら障害児は身近な存在であり、多くの障害児達と関わって来ている。変な固定概念が、子供の成長を妨げている事が多々あるのだ。ようするに、私達、支援者にとったら、大変なことでもなく、教えれないことでもなく、成長させれないこともないのだ。
 ”障害があるから”の考えは、逃げの言葉であるとしか思えない。
 ”障害があるから”と終わるのではなく、”障害があっても”と次へとつなげる考え方を、子育ての根本にしてもらいたい。
 
■障害があるからなのか、障害は関係ないのか
 人間性を育てるにあたって、障害があるから育てられない事は有り得ない。
 そこに、たとえ身体的に障害が重複していてもだ。
 たとえ、身体的な障害が重く、動けなく、食事もまともに取れなくてもだ。
 障害があっても人間である以上、人間性は育つものだし育てなければ、人間で無くなってしまう。
 その子の立場になって、子供の心理を考えてほしい。そこに、障害特性も交える必要はある。
 そうすると、自ずと今のこの子の行為は、わざとなのか、わざとでないのか。
 分かってやっているのか、分からずやっているのか。
 勘違いしているのか、勘違いしていないのか。
 子供の事をよく見て観察して、愛情を持って子供と接していて、愛情を持った目で見ていれば分からない事ではないのだ。
 だが、残念な事だがこれが分からない親も少なくない。それは、その親自身がどう育てられたかで違うし、そういった価値感を持って育ってきてないから仕方のない事でもある。しかし、分からないなら分からないを自覚し、分からないなら私達、支援者にどんどん聞いてほしいし、分からないならその言葉を信頼してほしい。
 
■子育てにおいて壁に当たった時
 子育てにおいて、どんな子供を育てていても躓くことは必ずある。
 そうしたときに、誰に相談すればいいのか、どんな機関に相談すればいいのか。
 稀に、権威を優先して言葉を信じる親がいる。
 医師・大学教授・本を出している・年齢がいっている
 そんな基準で、信頼してしまう残念な親も多く関わって来ている。
 私は言いたい。
 相談相手はまず、
  @臨床経験が豊富な人(即ち、現場経験が豊富な人)
  A相談したときに、多角的に物事を考え、いろんな可能性の意見を言ってくれる人
  BAの意見の中に、親自身も共感出来た事以外にも、親自身が考えてもみなかった事を言う人。
 Bに当てはまる人がいなければ、Aに当てはまる人、Aに当てはまる人がいなければ@に当てはまる人を相談相手にするのが良い。
 人は誰一人として同じ人はいないので臨床経験は大事だ。そして、地域の支援体制が変われば、それに合った臨床経験が豊富な人でなければいけない。地域で生活していく上での相談で、いくら臨床経験が豊富でも、措置制度の入所施設にいる人しか知らなかったり、子供の相談なのに、大人としか関わった事がない人だったり、その逆もしかり。
 地位や権威だけで相談相手を選んではいけない。


<著者> ニードケアプロデュース
<初版> 2010年1月6日
※ 内容は随時、修正変更されますのでご了承下さい。