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災害支援活動レポート1

2004年10月23日

新 潟 県 中 越 地 震

における心のケア活動レポート

集落開発センターの建物被災写真、小断層ができて建物の基礎が壊れました
川口町の一つの地区、、避難所になるはずだった、集落開発センター
TOPページの写真は、ここの取り壊しの写真です。

     活動地 新潟県北魚沼郡川口町
         川口町災害ボランティアセンター(〜12/19)
         川口町復興ボランティアセンター(12/20〜翌5/31)

           10/23地震発生
           11/16避難勧告解除


活動内容
 ボランティアスタッフとしてボランティアセンターの運営に携り、「元気もりもり隊」の活動コーディネイトから活動方針の打ち出しなどもし、ボランティア達の活動のアドバイザー的な役割を担ってきました。
 心のケアを目的とした活動を行い、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を念頭においた、子供や高齢者を中心にケアやその予防活動を行い、震災における心に与える影響を最小限に抑えるべく活動しました。
 他には、近年まれにみる大雪(19年ぶり)なことから雪かき、ボランティアの活動場所への送迎、ボランティア作業ニーズの発掘など多岐に渡り、ボランティアセンターに深く関わって来ました。
 NeedCareProduce 理事長 高島卓也


 新潟県の中越地方において2004年10月23日土曜日 午後5時56分に震度7という大規模な地震が起き多くの家屋が全半壊し、尊い命や財産を失い多くの住民の心に深い傷を残しています。
 私は11月9日に遅ればせながら未だ余震の続く、この中越にボランティアへと向かいました。目的地は震災の被害が一番大きかった北魚沼郡川口町です。現状の把握のためにひとまず3日の活動の予定で、被災した障害児者の状況を把握すべく向かいました。しかしこれが、2005年2月19日までの長期(延べ3ヶ月)に渡る支援活動になるとは思いもよりませんでした。
  (以後3月下旬 6月上旬 震災一周年に活動、小規模ながら今後も活動は継続)

 私を被災地へと動かしたきっかけは、被災した知的障害児・者の現状の把握と支援でした。NeedCaraProduceでは、知的障害児・者たちが将来に渡って地域の中で当たり前に生活していけるように生活支援・家庭療育のお手伝いをして行く事を前提に活動してきました。しかし、中越地震があり私は思いました。
 非常事態においても私たちNeedCaraProduceが現在利用されている知的障害児・者とその家族の生活支援をする事ができなければ、それはとっても無責任な活動をしているのではないだろうか。「私たちが協力するから、地域で一緒に生活しよう。」そんな気持ちでもって活動するNeedCaraProduceが、ここ愛知県で大規模地震があったときに自分達も被災して大変だから、利用者達のことは知らない…と、肝心な時に放っておく事にはなりやしないだろうか。いや、今のままではそうなってしまう。そんな危機感から、私はその解決策を見つけるべく、被災地である中越へと向かいました。

 11月9日午前に出発しました。再び大きな地震がおきて道路が寸断され、物資が届かなくなっても地元住民に迷惑をかけないように、多めに数日間の食料と水、着替え等を用意しての出発です。国道19号を長野へ向かい塩尻インターから信州中野インターまで自動車道を使い、国道117号を通って現地へと向かう最短距離のルートをとりました。被災地の道路状況はインターネットで毎日更新されるページがあり、事前に通行できる道路を調べての出発です。
 被災地に向けての道中、いたって平穏な日常とでもいう光景が続きました。そんな光景を見ながら、被災地で今まだ避難生活をしている人たちが、車で行ける距離にいることの違和感をすごく感じていました。そして、日も暮れた頃に被災地である十日町に入ったあたりから被災地の様子がうかがい知れ始めました。
橋の付け根に段が出来る。ここは被害が少ない 少しずつ異常を見せるアスファルト、傾いた電柱、明かりのついていない数多くの家、道路沿いの車庫には雨風をしのげる様にブルーシートをテントのようにし、家族なのか近所の人達の集まりなのか隙間からチラリチラリと見え隠れする人とブルーシートに写る人影。
 国道117号から右折していく道路には崖崩れや道路の破損により通行止めとなっている事を示すバリケード、所々に見える被災応援に来ている県外警察のパトカー、そんな非日常的な光景が先へ先へと進むにつれて、頻繁に見られるようになりました。

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