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2004年10月23日

新 潟 県 中 越 地 震

における心のケア活動レポート


 川口町とともに大きな被災を受けた小千谷市、そこへと入った事を示す道路標識が現れると、その被災光景は極端に酷くなりました。道路が半分ないなど道路状況が急激に悪化し、家に押しつぶされた車も見え、街灯もつかない暗闇の国道を時速30キロから40キロで走るのが精一杯になっていました。既に震災後から半月がたっていたために、道路は補修されてはいるものの応急処置程度のために車はその段差にガタンガタンと何度も音を立てました。
 そんな小千谷市も市街地に入ると倒壊家屋が多く見られるようになり、住宅街へと入る道路という道路には県外も含む多くの警察車両が道を守っていました。これは、住民が避難所へと避難しているために震災泥棒から住民の財産をまもるための警察車両と警察官達です。
 電気が復旧していない暗闇の市街地を走る中、とても鮮明に記憶に残っている光景があります。それは、小千谷のジャスコの光景です。4階建てほどのジャスコの壁が1/4ほども剥がれ落ち、鉄骨が剥き出しになっていました。そして、そのすぐ下の駐車場には暗闇に光る無数のテント群と、その明かりで映し出された崩落したジャスコの壁がとても印象的で、被災地の過酷さを知るにはこの光景で十分でした。※ジャスコの造りが弱いのではなく立地面積や壁面積が広いために建物が受ける被害は大きいのです。
 そんな小千谷市街地を通り抜け、魚野川を渡る橋を通り川口町へと繋がる国道17号へと出ました。小千谷市と川口町の間にある国道17号では、被災直後に川口町を孤立させた国道脇の崖崩れの工事が夜を徹して行われていました。その工事現場を照らす明るい照明は暗闇にはとても眩しく、異様な光景でもありました。

川口町災害ボランティアセンターの略図写真 川口町へ入り、夜10時過ぎに川口町災害ボランティアセンターへと到着しました。既に活動時間外のために誰も居ないと思ったのですが、そこでは十数名のボランティアスタッフが夜遅くまで仕事をしていました。そこで、私は河川敷のボランティア用駐車場を教えてもらい、車中で寝ましたが、11月の川口町の寒いこと寒いこと、気温8℃の真夜中の車中はとても寒く、持ってきた服を重ね着しても寒くて夜中に何度も目が覚めました。
 車中で寝る場合、車の暖房をつければ良いと思うかもしれませんがそれは危険なのです。近年の車はエアバックがついているために、エアバックが開いたときに車内の気圧が突然に上がることから、鼓膜を守るために車の密閉度は下げてあるのです。よって、エンジンをかけたままでいるいと、風向きによっては排気ガスが車内へと入り込み、車内で窒息死する事があるのです。そのために川口町災害ボランティアセンターではエンジンをかけての車内泊は堤防沿いにボランティアさんの車が並ぶ写真禁止とされていました。
 もちろん、すぐ近くのテントで寝る人や、近隣住民の事を考えるとエンジンをかけたまま駐車できないという理由もあるのですが。
 この時、他にも車中で泊まる人やテントと寝袋で寝る人が河川敷に溢れていました。

 11月10日の私の活動初日、まず、驚いたのが震災後18日経っているですが、実際にボランティアセンターが立ち上がって10日やそこらで、この完成度の高いボランティアセンターの組織と運営システムに驚きました。一日、多いときで900人を超えるボランティアさん達を動かさなければいけないボランティアセンターの出来は驚くものであり、唯一最後まで活発に活動を続けたボランティアセンター(〜平成17年5月31日)として誇れるものであると思います。

活動内容の案内、このように手作り案内が沢山あり、分かりやすく構造化されていました 私が最初に活動を行ったのは福祉という観点から「まごころ隊」(以後、のびのび隊と合併して元気もりもり隊へ)という、非難所生活を余儀なくされている高齢者の方々のお話相手をし、震災におけるストレスの軽減に携るという活動でした。
 避難所にいる高齢者の方々の多くは震災の出来事を事細かに話されました。2度も3度も同じ事を言い、恐怖心を何度も伝える方もおられました。
 ここで、僕は多くの現実を知りました。TV報道で被災地の様子は多く流れ、住民の声も放映されるものの、放送時間の関係からなのか、ほんの一部分の声しか報道されていなかった事に気付かされたのです。
 考えればあたり前の事なのですが、地震の起きたのは夕方、辺りが暗くなっている時なのです。地震と共に全ての明かりが消えた暗闇の中で、長く大きな揺れが続いたという事などは、私達の多くの被災経験のない人達にはそこまでの恐怖を想像出来たでしょうか。実際の揺れは消防訓練等での地震体験カーの揺れやそのシーンでしょう。揺れの恐怖という事に関して、これは間違っていないのでしょうが、その体験の多くは昼間の明るい時にしかないため、今回のような地震と共に暗闇になるという恐怖は言われるまで気付かない人は多いのではなのでしょうか。このように、聞いて初めて気付かされる現実の恐怖は他にもあります。
 今回の新潟県中越地震では3度もの大きな地震が短時間の間に起きています。これは周知の事実ですが、これを経験した人達の体験談は本当に死を連想させる恐怖でした。
 1度目の大きな地震では、大きな揺れをなんとか家が持ちこたえました。揺れがおさまった時に、多くの住民は暗闇の中を割れたガラスに足を怪我しながらも必死に裸足で家から飛び出していました。中にはお風呂から裸で逃げたという話も聞きました。そして、避難所となっている場所へ移動している最中に2度目、この2度目を地下通路の中で経験している人がいます。地下通路の中で立っていられない程の揺れ、通路が崩れるのではないかという恐怖がその方には一番の恐怖だったようです。1度目をなんとか耐えしのいだ家も、この2度目に多くの家が壊れ倒壊してしまいます。3度目、繰り返し起こる大きな地震に、全てが破壊されつくすまで人々は地震が続くのではないかと恐怖したに違いないでしょう。
 このように、TVで報じられる3回の印象と実際に体験した人達の3回にはとても大きな差があると感じました。

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