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2004年10月23日

新 潟 県 中 越 地 震

における心のケア活動レポート


 私は翌日11日からは子供を対象とした活動をしている「のびのび隊」に入っての活動をしました。住民はまだ避難所生活を続けていて、小中学校もまだ午前授業のみで保育園はまだ再開していない時でした。多くの子供達が既に、「のびのび隊」の人達といっしょに遊んでいました。私が11日12日と行ったのは、相川地区にある“すこやか”という児童施設です。そこも避難所となっており、夜になるとそこで住民達は寝ることになります。そんな“すこやか”で寝泊りをしている子供達を中心に、園児から中学生までの子供達と一緒に遊びました。
一瞬で潰れた家、関係者に配慮し加工してあります この頃の多くの子供達は、地震ゴッコをするなどボランティア達をどう対処して良いのかと悩ませていたのですが、他にも暴力的な遊び、自ら工作したものを破壊して遊んだり、必要以上の力を出してのプロレスゴッコなども、多くのボランティア達を悩ませていました。これらの気になる子供達の行動への対処に関しては複雑なものがあるために、ここで手短に説明するのも難しいのですが、一見ドキッとして一番危なそうな地震ゴッコが、実は危険性が低かったりするのです。
 このような、子供のダイレクトに出る震災の影響は、多くの子供達が見せるために子供同士の関わりの中で、それらの症状は次第に収まっていく事も少なくありません。しかし、12日に私がボランティアセンターへ戻ってから、他の地区に行っている人から聞いた子供の症状は安易なものではありませんでした。
 既に予定の3日間の活動を終えていた私は、本来の目的でもあった障害児・者の支援が川口町には、それほど必要だと見てとれなかったために、私はこのまま夜にボランティアセンターを出て帰ろうかと考えていたときの事でした。
 当時の「のびのび隊」のまとめ役のサブリーダーであった人が私の所へ来て、気になる女児がいると、別の地点リーダーの人から報告があったので話を聞いてやって欲しいとの事でした。そして私はその地点リーダーとその子供を担当した女性ボランティアから話を聞きました。
 保育園の年中さんの女児が、何も起きてない…きっかけが見当たらないのに突然と泣き出す。また、ぼ〜っとしたまま声をかけても反応しなくなるとか、他の子供と関わって遊ぶことがないとか、報告の全てが4歳の子供として普通にありえない状況の話が次から次へと出てきたのです。ボランティアさんと子供達、足をお洗うおじさんの所、断層が出来ています
 そこで、私はその女児のために何が出来るか分かりませんでしたが、今、川口町のボランティアセンターではこの子と関わってケアが出来るのは障害のある児童を専門にしている私しかいませんでした。間違った事をしてしまったら取り返しがつかない事になるかもしれない。そんな事を考えながらも、私はひとまず、活動を1日延期して実際にその子供と会ってみる事にしました。
 そして、翌日13日やはり聞いた話通りの状況で、悪い予感が的中してしまいました。震災から既に21日もたっていたのにもかかわらず、その女児(以後Aちゃんとする)はずっとずっと震災の恐怖と不安で苦しめられていたのでした。
 震災の日からすると、PTSDではなくASD(急性ストレス障害)の可能性もあり対応に苦慮しましたが放っておけませんでした。ただ、現実として目の前に心を痛めているAちゃんがいるのです。
 完成度は高いものの混乱する被災地の即席ボランティアセンターで、心のケアの専門家が手配できるかわかりません、手配できたとしてもいつ来るかも分からない。ましてや、日本の中に子供のPTSD(言葉のボキャブラリーの少ない子供と大人とはケアの仕方が違う)を専門とする人などいるわけもないし、ましてや、震災という極めて稀なトラウマ体験の子供のPTSDとまでなると、子供専門どころか臨床経験が十分にある人などいないのではないか。
右のホースは水道管の変わり、応急処置で水の確保がされています。道路の舗装は剥がされています もし、大人のカウンセリング経験しかない専門家がやってきて上手くいかなかったら…専門家ゆえに私は手を出せないし…。これからのAちゃんのケアをどうしていくのが最善か…私は悩みに悩みました。事実、後の話ですが川口町へ来られたソーシャルワーカーチームに子供のケアが可能かどうかお聞きしましたところ、大人専門の私達には子供は出来ないと言われました。
 そして、その時に私が出した答えは、これ以上に長くAちゃんを苦しませたくないし、私は先天性の障害児が対象ではあるが、子供の障害に関するプロでもある。PTSDは和名:心的外傷後ストレス障害と言われるように、障害と名のつくものであり専門外だと見て見ぬふりを出来るものでもない。
 最悪の事を考えると、Aちゃんのためにも早くケアをして今後の人生に大きなハンディとならないようにするには一刻を争う状況でした。そうです、既に震災から21日も経過しているのですから。
 そして、私は実際にAちゃんと関わりはじめました。Aちゃんの一挙手一投足、Aちゃんの視線の先、発する言葉、表情、全てに全神経を集中させて観察しながらの関わりでした。まず、必要なのはAちゃんに見ず知らずの私の存在を受け入れてもらわなければいけない事で、ひたすらそれを考えての行動となりました。ここでは私の経験が活かされました。とても難しかったのですが、思っていたよりも早く私の存在をAちゃんの中に認めてもらうことが出来ました。
公園の休憩場、斜めに歪んでいます。公園内に小断層が出来ています そして、いよいよケアに向けての意図的な関わり開始です。ここで、一つ一つの意図的な関わり方を紹介したいのですが、私の関わり方が全てではありません。またAちゃんにだからこそ必要で効果のあった関わり方もあり、類似した事でもこれを真似して他の子供にすると逆効果になることも有り得るため、関わり方の例として紹介するのは控えさせていただきます。
 話は省略しましたが、結果は大成功と言っても良いくらいに良好で、午前の始まりと終わり、午後の始まりと終わりと、見る見るAちゃんの様子は良好な変化を見せました。

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