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2004年10月23日

新 潟 県 中 越 地 震

における心のケア活動レポート


 しかし、私はAちゃんに心残りがある中、この13日で装備不十分(夜寒くて寒くて)のためにこれ以上活動の続行は不可能と判断し、ひとまず装備しなおして出直しとする事にしなければなりませんでした。
 いったん帰宅して数日後、引き続いて活動を続けてくれていた他のボランティアさんからのメールで報告が来ました。女児の家での様子にも良好な変化もみられて、その子供が私に手紙を書きたいと言っているという内容の報告でした。
 そんな嬉しい報告を受け、私はもう行く必要がないかな。と思いながらも、まだ、他にも苦しんでいる子供がいるかもしれないし、これから出てくる(PTSDは震災後3年以上たってから発祥している事例があります。)かもしれないと思い。
 装備を買い揃えながら、ボランティアの誰にでも子供の出す危険なサインに気付いてもらえるようにと、子供の震災によるPTSDに関する資料を作成して、再び川口町へ行くことにしました。

 私は11月22日に再び川口町へと入りました。しかし、Aちゃんの様子は報告を受けていたほど良くありませんでした。極端に異常な状態は回避されてはいるものの、やはり突然に泣き出すことがあり、また、赤ちゃん帰りの行動など、回数は減ったものの、症状は出ていました。私は、Aちゃんの事を同地区のリーダーに伝え、異常があったら報告してもい次の日にAちゃんの所へ行くという手筈とし、別地区で見つかった高機能自閉障害の年長さんの男児と関わったりしていました。
 そんな中、時折Aちゃんの様子が変だと聞いて何度となく私はAちゃんのいる地区へと足を運んだのですが、不思議なことに私が行くと、特に私と遊んだりすることがなくてもAちゃんの調子は良く、症状が出ないという事が続きました。結果としてAちゃんは私がいると言うことで安心感を得て安定していたと思われます。
 そして、Aちゃんが保育園通いを再開すると、ボランティアの活動時間が朝9:00〜夕方16:00と限定されていた事から、私はAちゃんと土日にしか会えなくなりました。Aちゃんの保育園での様子や帰宅後の様子が芳しくないと聞き、私はボランティアセンターに事情を説明し、地区の総代さんにも了解を得て、特別に時間外の活動の許可を得ることが出来ました。これにより夕方17:30までの活動延長が可能となり、保育園から帰宅後のAちゃんと毎日会えて関われる時間を作った事により、Aちゃんの保育園再開後の心の安定を図ることが出来ました。
仮設住宅建設開始、あっという間に冬用仮設住宅が出来ます こうしてAちゃんとの関わっている中、12月上旬から仮設住宅への引越しがピークとなってきていました。避難生活から仮設住宅という再び生活環境が変わる事に対し、また、子供たちは学校や保育園が再開していたために、心のケア活動の主軸は子供から大人たち、高齢者へと変わって行っています。
 私自身の仕事は、福祉の世界に携わってはいるものの老人介護とは無縁の仕事のため、高齢者達の対応にはとても苦慮する事となりましたが、「元気もりもり隊」の活動の方向性とその活動趣旨など、子供対象だった活動から大きく変更をせざるを得なくなっており、私は大人のPTSDという観点からボランティアセンター自体の心のケア活動の方向性と趣旨を改めて提案し、活動していく事となりました。
 川口町周辺の被災地では、仮設住宅が完成して入居され避難所生活が無くなっていく中、川口町以外の災害ボランティアセンターでは一般ボランティアの活動は閉鎖されて行きました。そんな中、川口町のボランティアセンターも閉鎖の波は押し寄せていました。内部での様々な混乱はあったものの、結果として、川口町災害ボランティアセンターから復興ボランティアセンターへと名称も運営主体も変わる中、他のボランティアセンターのように活動を止めることは無く活動を継続することが出来ました。
 この年は雪の降り始めが遅くなったものの、19年ぶりの大雪に見舞われることとなった中越地方、川口町も例外ではなく大雪による被災家屋の倒壊は数多く発生していました。
 ある住民の方は言いました。「今年は全部の災害が一度に来た。」と。
 そうです。6月末には豪雨による水害、秋には地震、冬には大雪です。川口町復興ボランティアセンターとなった川口のボランティアセンターも冬の間は心のケア活動と、地震災害のボランティアセンターではあるのですが、肉体的な活動は大雪災害ボランティアの雪かき活動でした。仮設住宅の上の雪は下ろされています。溜まった雪は平屋の家を覆うほど高くなりますそんな大雪による雪かきボランティアも、隣町から雪かき応援の要請が来たり川口町のボランティアセンターは大忙しでした。そして、雪かきという地元住民にとって毎年行われる日常的な雪かきという活動が、住民とボランティアとの心の結びつきを強くもし、本来の目的であった心のケア活動が大きく進展するという嬉しい誤算もありました。
 私達が大人たちとのコミュニケーションを深めるにつれ、後々になって「うちにも、もっと早く来て欲しかった。」という言葉も聞かれるようになりました。これは、大人も子供も例外なく、また、時間が癒してくれるという言葉も当てはまらず、災害が住民の心に与える影響は奥深いものであると言えましょう。
 PTSDと診断されなくとも、あれほどの大きな震災を経験すれば、大なり小なり心の変化をもたらすのは必至で、どんなにその人自身が「私は大丈夫。」「うちの子は大丈夫。」と言っても、震災前と同じはずではないのです。阪神淡路大震災の被災者が震災後3年経ってPTSDの症状が出た報告もあるように、震災が与える心の影響は、他人にはもちろん本人にも分からないものなのです。こういった観点でもって中越地震においては唯一、川口町復興ボランティアセンターだけが、活発に活動をし続けて来られました。
 それは、川口町に関わったボランティアの方々が、心の底から川口町を愛し、川口町の住民を愛し、心配していたからになりません。

その後、私は残るボランティアさん達と連絡を取りながら、3月下旬とボランティアセンターが閉鎖された6月の最初に川口町へと足を運びました。3月は私が帰った後しばらく経っているためにAちゃんの様子を伺いに。6月はボランティアセンターが閉鎖となった5月31日以後の、私が担当した地区の住民の心の状態の把握のためでした。

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