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NPOで働くとは…
 時は2010年…時代は変わり不景気なこの時代。

 お金ではない、人の為になる遣り甲斐のある仕事がしたいという若者が増えている。
 物質に、食べ物に、不自由しない時代に産まれ生きてきた今の若者達、彼らが欲するものは”生き甲斐”となってきている。自分の産まれた意味、生きる意味、価値を求めて精神的満足を得ようとしている。
 物やお金、食べ物という分かりやすい目的を目指し、それを安定して得られるようになるために人々が働いた時代とは、大きく違ってきている。
 物質的欲求の高かった時代から、精神的欲求が高い時代への移行。

 代表である自分も、その精神的な欲求を追い求めてきたのかもしれない。

 人の為になり、感謝され、双方共に満たされる事を仕事としていきたいと思う事は悪い事ではない。この時代だからこそ、それを追い求める若者は間違っていないと思うし頑張ってほしい。
 しかし、そこに矛盾があったりもする。それは、自分がやりたい(人の為に成る)事と、生きていくために必要な安定した生活や収入を得る事は、微妙に相反するものだったからだ。

 それは、代表である私自身が経験から感じているものだ。

 人の為になる生き方をする事は、案外苦労するものなのだ。
 親元にいた学生の頃に保障されていた食や生活、それを自分で確保しなければいけないからだ。その確保をしながら、人の為になる仕事をする。人の為になる事をするには、常に他人の事を考えている事になる。それは、自分の環境が安定していて精神的に余裕がないとなかなか出来ない。
 学生であった頃は即ち、いろんな事に満たされ、精神的にも余裕があったのだ。
 それが、自分で生活、家族を持って生活、子供を育てながらの生活になってくると、仕事の為に必要な安定という精神的余裕を得る事が非常に困難になってくるのだ。
 プライベートが安定していないとき、他人の為になる事をしていくには、ものすごく精神力が必要となってくる。
 プライベートの不安定が、この仕事の不安定を招くくらいに、かなり密接に関係しているのだ。
 プライベートの不安定が廃業に繋がった所も少なくない。

 自分自身も精神的に不安定な立場におかれたとき、なかなか、簡単には出来る仕事ではなかった。

 今思うに、結局大人になって一人前に生きていくという事は、どんな仕事をしようが難しい事が分かった。
 サラリーマンで安定していた頃の自分…それを、自分で壊しこの道に進んだ。
 それが、正しかったのか間違っていたのか、それは、人生を全うしたときにしか分からないだろう。

 いろんな苦難があったし、これからもあるだろうが、自分達が支えている人がいて頼りにされているという自分の存在価値、それが結局自分を支えていた。そんな見えない所で相互的な精神的支えがあったのも否定はしない。

 NPOで働くという事は、棘の道であり、自分を成長させながらでないと務まらないだろう。

 …このNPOでの仕事、やってはいけない事がある。
 それは、自己満足のためだけにやってはいけない。
 自己満足のために、必要のない事までやってしまい不必要に楽をさせてしまう。それは、相手にとって良い事にはならないからだ。その人達の人間的成長を妨げている事になる。
 極端に言えば、自分でやれる事をやらせないということは、基本的人権の侵害になり、それは虐待と変わらない事になりかねないからだ。

 人の為になる仕事について、貴方自身もっといろいろ考えてみてほしいと思う。