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2004年10月23日

新 潟 県 中 越 地 震

における心のケア活動レポート


 Aちゃんに関しては、それまでは私が愛知に戻る時には泣いて淋しがり、その後の自宅での様子も落ち込んでいたりしていましたが、3月以降は特に問題は見られず私が訪問するととても喜んでくれ、また別れるときも笑顔で見送ってくれるようになっていました。しかし、6月の最初は川口町復興ボランティアセンター閉鎖となった直後で、高齢の方でボランティアさんたちが居なくなってしまうという喪失感に落ち込む方も若干見られましたが、長い時間をかけて活動を減らし徐々に終息へと向かっていった為に、多くの住民の方々はボランティアさん達の帰りを、快く見送ってくれて大きな問題はみられませんでした。
中学校のグランドが仮設住宅に… しかし、川口町復興ボランティアセンターが無くなっても、まだ倒壊家屋がそのままの所もありますし、仮設住宅が学校の運動場に建ち続けている以上、被災は続いていると言えます。
 震災1周年の時には被災家屋の1/3しか手が付けられておらず、瓦礫が撤去されただけの更地が目立っていました。
 PTSDというものは、今回はなんともなくても、他のトラウマ的体験によって今回の震災の経験が、次にPTSDを引き起こしやすくする要因となります。それだからこそ、心のケアは大切なのです。
 今回の地震は多くの地元住民の心に深く刻まれています。終わった事として済ますのではなく、長い目で見守るべくこれからも私は川口町へと足を運び、震災によるPTSDの問題に取り組んで行きたいと思います。
同じく中学の仮設住宅群







公園の歪んでいた屋根が処分されました


集落開発センターも、大雪を乗り越え取り壊されました













大活躍の車両、後部ドアは自動ドアでした
← ↓ ボランティアセンター車両

こちらも、ボランティアセンター車両、老体に鞭うって最後の任務を全うしてくれました











       6/7 最後のボランティセンター

ボランティアさん用のトイレ、当初は20個近く並んでいました。後期のボランヒアセンター、事務所兼食事場兼寝床と、ボランティアさんはずっと過酷な状況で頑張りました















寝床兼、倉庫、荷物置き場最後のボランティアさんが私…。最後に感謝と別れを惜しんできました

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